栗塚省吾 洋書目録タイトル

日本近代法学のパイオニア 栗塚省吾

『武生郷友会誌』より
(越前市立図書館蔵)

栗塚省吾(くりづか せいご)嘉永6年(1853)~大正9年(1920)

 嘉永6(1853)年、福井藩家老職を務める本多家(越前府中領主)家臣・栗塚義兵衛の長男として本多家江戸屋敷に生まれました。幼少より漢学を修め、11歳で英語を渡邊洪基に、14歳でフランス語を村上英俊に学び、16歳で、福井藩貢進生となった齋藤修一郎と相前後して開成学校(後の東京帝大)に入学します。
 明治5(1872)年に司法省明法寮(1)生徒となり、明治8(1875)年にフランスに公費留学。パリ法科大学で法学士号を取得しました。明治14(1881)年に帰国後、司法省書記官・司法卿秘書官・司法省刑事局長・同民事局長・大審院判事・同部長などを歴任。法制官僚として旧民法など重要法典の編纂作業に関与しました。
 明治31(1898)年に大審院部長を退職。その後は弁護士となり、明治35(1902)年から衆議院議員に立候補し3回当選。その間、房州小湊鉄道・東亞製鋼株式会社・株式会社蔵経書院・日本硅石耐火煉瓦会社などの社長に就任しています。
 大正9(1920)年11月2日死去。享年68。同日付を以て特旨により正三位に叙せられました。

栗塚文庫について

 栗塚文庫は、越前市中央図書館の前身・武生町立図書館(2)が大正12年12月に創設された際に寄贈された、栗塚省吾の蔵書1582冊がベースになっています。 その後も、何度か栗塚家から寄贈を受け、戦後に再登録され、現在は近世期の和本(木版本、写本)、明治大正期の活字本(和書、洋書)、古地図など、2550冊余を有しています。

栗塚文庫洋書目録作成の経緯

 栗塚文庫のうち、洋書は370余冊が残されており、昭和49年に作成された手書き目録はあるものの、ほとんどがフランス語文献であることもあり、これまでその内容の詳細と資料価値については分かっていませんでした。 また、栗塚省吾についても、日本法曹界の先駆者として明治大正期に活躍した越前市ゆかりの偉人でありながら、その人物像はおろか、詳細な事跡についてもほとんど知られてきませんでした。
 平成27年7月、明治大学法学部の村上一博教授と同大学大学院生3名が中央図書館に来館し、栗塚文庫の洋書の学術的調査を行うこととなりました。 正確な書誌目録を作成し、専門的な解題を付け、それを公表することで研究者の注目を集め、栗塚のフランス法知識の形成過程や特徴などについての研究が今後活性化することを期待しています。

栗塚文庫洋書目録

『パリ大学留学時代の栗塚省吾』
明治大学法学部教授:村上一博
栗塚文庫洋書目録
凡例
著者索引
栗塚文庫洋書目録 解題
明治大学大学院法学研究科:野原香織

栗塚文庫の利用について

 栗塚文庫は貴重資料扱いとなります。ご利用については以下のとおりです。

  • 貴重資料の閲覧や撮影、放映等をご希望の方は「貴貴重資料等利用許可申請書」 (PDFDOCX)に必要事項を記入し、ご提出ください。
  • お申込みの際は裏面の注意事項をよくお読みください。
  • 貴重資料の貸出等については、直接図書館までお問い合わせください。

脚注

  1. ^明治4(1871)年、法律実務の専門家を養成するため司法省に設けられ、開成学校から優秀な生徒を引き抜いてフランス式の法曹教育を行った機関。
  2. ^詳しくは当館HP内「沿革・概要」を参照。

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